●政治との距離が遠い日本・近いデンマーク
日本の政治に関し、司馬遼太郎氏は「私だけではなく、国民の多くがそうだろうと思いますが、日本の政界をみていると、望みを失いそうになる。結局、党内人事をうまくやっている人に権力が集中していく。ビジョンではなく、人事だけがある。ビジョンを持つ政治家の多くは破れ、ビジョンをすてて人事に専念する政治感覚が、勝利を制する。」(司馬遼太郎対談集「日本人を考える」171ページから引用)。1971年に出版されたこの対談集から約40年の歳月が経とうとしている今日において、日本の政界でビジョンを持って国家の運営に努めている人達は何人いるだろうか。フランスの元大統領ドゴールは「食糧の自給なしに民族の独立は無い」と語ったと聞いたことがあります。
デンマークの政治家の多くは「次世代にツケを残してはならない」と語り、健全な国家財政への取り組みに努めています。
そのような中で日本の政界から日本の食糧やエネルギー自給をどのような方法で改善するか、急増する国債をどのようにして返済しようとしているのか、少子化問題と高齢者社会への対策など、国家の運営を任されている政界の人達から改善に向けた対策が出てこないのは、司馬遼太郎氏が云う通り、日本の政界では、ビジョンを持つ者は受け入れてもらえないという慣習が、ビジョンを語らない政治家を生んでいるのだとすれば、そこに住む国民の多くは不幸だと思えるのです。にも関わらず日本では、ビジョンをもった政治家が育たたないのは、長い歴史の中で育成された日本人の「人間らしい生き方」によるものではないかと思います。
日本における「人間らしく生きる」に関し、樋口陽一氏は「いまの日本社会にとってもっと身近な言い方をすれば、こと挙げず(とりたてて言うことをせず)、まわりと溶け合って、持ちつ持たれつ、やってゆく日常の方が、自分自身のものの考えや信条にこだわって生きるより人間らしい、と考える人のほうが、多いのではないか」(樋口陽一氏、憲法と国家、60ページより引用)と書いているように、日本人の生き方が日本の政治にも反映されているように思えます。なにはともあれ、日本では政治が、国民の願いを受け止め、それを実現させるための政策面での努力や、一般国民のさまざまな現実的な要求に合わせ改善するための政治として、動いていないように思えますが、思い違いでしょうか。
デンマークでは政治家個人と支持者との関係は、支持者が望む国家運営への代表者としての関係で、個人的利益に繋げるために政治家の選択をしていないと思います。つまりデンマーク人が政治家に求める業務は、国民が安心して生活出来る環境を作りだすための政策導入が出来るかどうかであり、個人的利害関係で政治家を選んではいないということです。
●日本の中高生の政治教育と政治活動
日本においては、ようやく18歳選挙権が決まったこともあり、高校で政治を学ぶ必要があるとマスコミで話題になっていますが、中高生から政治活動に参加したり、国内外において、民主化を進めるための活動を起す学生はいるのでしょうか。恐らく日本の中高生を持つ親や保護者あるいは文部科学省は、中高生から政治に関与するような活動を起すことは望んでいないと思います。なぜならば、日本の教育基本法第8条2項において「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、またこれに反対する政治教育その他政治的活動をしてはならない」と規定し、21世紀に入った今でもこの法文を改正しようとする動きが聞こえてこないためです。
例えば、平成19年11月17日付け「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(平成19年11月17日付け)において、学校教育での子どもたちには「生きる力」の育成を強調しつつも、教育内容に関する主な改善事項には、子どもたちの政治活動への参加には言及されていないのです。
その一方では日本の学校教育法「中学校教育の目標」(36条1項)において、中学校における教育の目標は「小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと」と定めています。
筆者は、日本の学校教育の矛盾がこの2つの法文に現れていると思っています。なぜなら、「政治活動を禁止」し「国家及び社会の形成者の育成」するということは無理だと思えるためです。読者の中には、日本の教育でも政治は教えている、という方もおられると思いますが、その政治学は日常生活の中で行動として生かされるものでなければ、学ぶ意欲は出てこないと思うのです。
その結果として、日本の若者たちの政治離れや国家の運営にまったく興味を持たない人たちが多く生まれるのであれば、検討する課題だと思います。以前、「国民が政治に無関心であるということは、政治家にとっては最大のご馳走だ」というような意味の新聞記事もありましたが、民主主義国家を営む国として、懸念すべきことだと思いました。
●「デンマーク青年評議会」の歴史
デンマークの子どもたちは義務教育の中で社会教育を受け、日本人に比べたら早々と国家形成者の道を歩みはじめるのです。
デンマークには国内外の政治に関し発言権を持つ「デンマーク青年評議会」
(Dansk Ungdoms Fællesråd 略称D. U. F )があります。
この「デンマーク青年評議会」の前身は多数の個人や青年組織が集まって1940年頃「デンマーク青年組合」を発足させことが始まりです。
当時、「デンマーク青年組合」の活動目的は若者たちの民主主義を高めることとナチスとファシズム、ドイツ軍に対する反抗運動が主でした。しかし、若者たちの中にはドイツ軍への破壊行為を通した「反抗運動」は青年組織のすることではなく、対話と民主主義の促進に力を入れるべきだ、という意見が多数を占め、ドイツの占領下から解放された1945年になって、「デンマーク青年組合」の活動目標は、若者の一般的教養を高めることに重点を置き、それと共に、「デンマーク青年評議会」という現在の名称に代えました。 この背景には、1942年に発足したドイツ軍への抵抗運動を行った青少年「チャーチルクラブ」があり1943年には「市民ゲリラ隊」が発足、占領ドイツ軍への数多くに破壊行為を繰り広げてきた実績があるのです。そしてこの青少年のドイツ軍に対する抵抗行為は保守党と国民党によってさらに新たな抵抗運動家グループ「ホルガダンスク」が生まれたのです。
この「ホルガダンスク」の抵抗運動に加わった2名の活動家を主人公にした実話「Flammen & Citronen、日本語訳では(誰のため)」という題名で2008年映画化されました。この映画の主人公となるFlammen(直訳すると炎)と呼ばれた人はベント・フアーショウ・ビッド(1921年1月7日生まれ1944年10月18日他界)でCitronen(直訳するとレモン)と呼ばれた人はヨーゲン・ハーゲン・スミッツ(1910年12月18日生まれで1944年10月15日他界)です。
●「デンマーク青年評議会」に加盟する70団体
今日、この「デンマーク青年評議会」に加盟する組織は全部で70団体、メンバー数60万人と言われています。この中には例えば、義務教育中にある子どもたちを代表するデンマーク生徒会、デンマークの高等学校に就学する生徒を代表するデンマーク高等学校組合、デンマーク職業学校生徒組合、8歳の年齢から加入し約3万人のメンバーを代表するデンマークガール・ボーイスカウト組合などとなっています。その他政党の青年グループとしては、デンマーク社会民主党青年部会(1920年設立、メンバー数約1940名/2008年現在)、デンマーク保守党青年部会(1904年設立、メンバー数約1020人)、全国自由党青年部会(1908年設立、メンバー数約1660人)社会主義人民党青年部会(1969年設立、メンバー数約3300人)などが加わっています。
デンマーク青年評議会の運営管理は、文部省の監督下におかれ、活動資金の多くはロトやサッカー試合の売上金の中から出され、デンマーク青年評議会の加盟団体に支払った助成金額は2006年、1億1200万クローネ(約22億円)となっています。
●政党の青年部は政治家のインキュベーター
特に政党の青年部会は政治家のインキュベーター(政治家を生む孵化器)といわれており、2009年4月まで約7年半、自由党と保守党の連立政権の首相を務め、同年4月4日付け北大西洋条約機構(NATO)の事務総長に任命されたアナス・F・ラスムセン(1953年1月生まれ)は自由党青年部会の会長を1974年から1976年に務めました。
また、2009年4月4日付けでアナス・F・ラスムセンの後任として首相に就任した元財務大臣のラース・L・ラスムセン(1964年生まれ)は自由党青年部会の会長を1986年から1989年に務めた人です。
そして法務大臣を務めるブリアン・ミッケルセン(1966年生まれ)はデンマーク保守党青年部会の会長を1989年から1990年に務めた人です。
このほかデンマーク社会民主党青年部会の会長を務めた人の中には元首相を務めたイエンス・O・クラウ、元外務大臣ペア・ヘッケロップ、元国防大臣ハンス・ヘケロップがおり、現職では党のナンバー2とも言われているメタ・フレデリックセン、他にもヘンリック・S・ラーセンがいます。
このようにデンマークの青年評議会の加盟団体の中から数多くの政治家を送りだしているのです。最近の例では2009年6月7日、デンマークの欧州議会議員選挙で当選し、欧州議会議員数738名の中では最年少とも言われている、社会主義人民党青年部会会長を約1年務めたエミール・ツーエセン(25歳 女性)がいます。
●「青年評議会」の活動目標
そして今日、デンマーク青年評議会活動は民主主義、責任、尊敬、寛容を基盤とした価値観を活動の目標を置き、その活動の1つが国政への参加で選挙年齢の引き下げ、夜間学校法の見直し、余暇法の見直しと指導員への手当の支払い(デンマークの学校ではクラブ活動がないため、スポーツ関係を含め指導員への講師料)などの政策導入に発言しています。
この中で例えば、選挙権の年齢引き下げにおいては、1971年当時20歳だった選挙権を約10年かけ現在の18歳(1978年導入)に引き下げる働きをしたといわれています。そして、現在、選挙権年齢を16歳に引き下げるための活動を起しています。デンマーク人の中には若すぎるという声も聞こえてこないわけでも無いのですが、この運動の影響かデンマークの地方市議会議員の選出選挙では16歳の投票を認める市町村(人口5万7000人のクーゲ市)も出て来ており、中部ユトランド地区にも次回の市町村議会議員選出選挙においては16歳の投票を認める方向でいると語る市町村が半数に達しています。
●国際問題にも発言する
デンマーク青年評議会の欧州諸国との関係においては、EU及び欧州諸国の青年団体と幅広い活動をし、そして国連との関係においては1972年から代表者2名を派遣し、特に子どもや青少年の労働問題ついて国連総会での発言権を持つ他、開発途上国における児童の教育改善に関する活動にも加わっています。
また中近東との関係では、外務省からの助成金をもとにエジプトやレバノンにおける民主化運動に力を入れていると言われています。
●アナス・F・ラスムセン首相
デンマーク青年評議会は発足して50年以上の歳月が過ぎましたが、過去にも現在にも組織の中から首相や大臣などの政治家を生み、今なおその活動が生き続けているのは、デンマークが小国ながら常時変動する世界の中で生き残り、繁栄するためには中高生の年齢から政治を含めた国内外の民主化に向けた活動の必要性を親子とも認めているためだと思います。
デンマークでは親の経済的事情と関係なく誰でも持って生まれた才能や能力を活かせ、自分が望む職業に就くことができるのですが、元デンマークの首相を務め、2009年8月1日からNATO事務総長に任命されたアナス・F・ラスムセンもその中の一人だと思います。
アナス・F・ラスムセンは、すでに触れた通り自由党青年部会の会長を1974年から1976年に務めた人です。彼の誕生日は1953年1月26日で、彼のお父さんは大農場のヘルバーを何年かと務め、農学校に行き、お金を貯め自営の農場を手に入れた人です。
そんなことで、アナス・F・ラスムセンは高等学校時代まで休日や放課後は親が営む農場の手伝いしたと本人のホームページに書いています。彼は1972年に高等学校を卒業、その後オーフス大学の政治経済学部に進学し1978年卒業していますが、デンマークのごく普通の農家出身者なのです。