デンマークの中世に繁栄した町 ロスキルドと宗教改革

デンマークの首都であるコペンハーゲン市から約南西35㎞の場所に、ロスキルド(Roskilde)という町があります。ロスキルドはコペンハーゲンが首都になる前、デンマーク国王の居住地として繁栄していました。

ロスキルドの町を開拓したのは、デンマーク国王の第三番目に就任したハラルド・ブロースタン(Harald Blåstand在位940985年)ですが、980年代にデンマーク最初の教会として、木造の教会をロスキルドに建設し、「Treeningshedskirken*」と名付ました。

 

「Teeningshedskirken」 The Trinity Church 、三位一体>父なる神、子となる神、聖霊を一体とみること。

 

ハラルド・ブロースタン王はその場所に埋葬され、その後を引き継いだ息子のスベン・ツベースケ王(Svend  Tveskæg/Harald在位1014年~1018年)は同教会を拡張し、彼もその場所に埋葬されました。スベン・ツベースケ王の後を継いだクヌー大王(knud den Store 在位10181035年)は1020年ロスキルドを監督教会区*に指定、「Treeningshedskirken」を大聖堂に位置付けました。クヌー大王はロスキルドに居住し、ロスキルド大聖堂の他、13の教会区の土地を所有し、修道院5ヵ所、病院3カ所、大聖堂区1カ所を所轄していました。そんなことから、ロスキルドは12世紀~13世紀において、スカンジナビアの中心地として繁栄しました。数多くの教会の建設には国内外から質の高い建材や装飾品が運び込まれ、また教会の募金箱にはたくさんの献金があったと言われいます。1300年代には、ロスキルド大聖堂が所有する農場数はシェーランド島全体で2600カ所在ったと言われ、この当時のスカンジナビアの町の人口数としては多い5千人~1万人が住んでいたと言わていました。

 

*監督教会区 デンマーク語では、bispesædeと呼び、英訳はEpiscopal あるいはCathedral cityと訳され日本語では監督教会と訳されています。

 

監督教会には大聖堂と呼ばれる教会があり、現在デンマークは10カ所に大聖堂が所在しています。ロスキルド大聖堂はその中の一つですが、デンマーク全国に所在する10カ所の大聖堂が監督する教会数は約2,400あります。

 

デンマークのキリスト教を基盤とした国家形成はロスキルドで生まれ、国家統治に関しての法の整備もロスキルドで出来たと言われています。1413年、マーガレット女王1(Magrethe 在位:13871412)の棺は、厳重な警備兵に守られ埋葬されていたソロ(Sorø, ロスキルドから南西約45キロの町) からロスキルドの大聖堂に移動され、石棺されました。この後、デンマークの国王の棺はクリスチャン三世(在位15341559)からロスキルド大聖堂に石棺されることになりました。因みに現国王はマーガレット第2世(在位1972年)ですが、マーガレット2世の父フレデリック9世もロスキルド大聖堂に安置されています。

 

クリスチャン三世がロスキルドの大聖堂に石棺される頃を境に、ロスキルドの地位が徐々に失われてきます。その理由は、1400年時代,ドイツで始まったハンザ同盟*による経済成長がバルト海域の交易がにもつながり、コペンハーゲン港が重要な役割を果たすことになったこと、また1536年クリスチャン三世がデンマークの宗教改革を実施し、カトリック教会を廃止しルーテル教をデンマークの国教としたことでした。 

 

*ハンザ同盟 ドイツ語でハンザ(Hanse)は「通商の仲間」を意味し、ドイツはヨーロッパ諸国及び北欧の全流域の商業都市と交易した。

 

宗教改革を通し、この当時カトリック教会が所有していた全ての不動産を国王が没収し、カトリック教会を全て閉鎖し、カトリック教会の資金源を断ちました。宗教改革以前のロスキルドはデンマークの宗教の本家として、全国から人が集まり、物の取引や情報交換をし、カトリッ教の司教は事実上の統治者として国治に大きな力をもっていました。ロスキルドで贅沢な生活をしていたカトリック司教はロスキルドを追い出され、コペンハーゲンの牢獄のような古い建物の中で、死ぬまで閉じ込められ世を送ったと語られています。他にもデンマークのカトリック司教は投獄されてしまいました。ロスキルドの繁栄を築いてきたカトリック教会が宗教改革によって、閉鎖され財源がなくなったロスキルドはその後、ごく当たり前の田舎町に没落しました。

 

デンマークの国王クリスチャン三世がデンマークに取り入れた宗教改革とは、ドイツ人のマーチン・ルター(Martin Luther 1483-1546、日本ではマルティン・ルターと呼んでいる)がカトリック教会が実践していた、罪の償いを免除する証書(贖宥状または免償状)をお金で買い取ることが出来るカトリック教会に対し、95か条からなる提題を15171031日に提出したことから始まります。95か条の中の一つに「われわれの主であるイエス・キリストは『悔いを改めよ』と言われ、信者は全生涯が悔いを改めることに努めることを求め、そのようなことから、教会の司祭者が罪の償いを免除する権限を持つことはあってはならないのではないか」と疑問を投げかけ、マーチン・ルターの教えに賛同した人たちの手によって生まれたのが、ルーテル教会です。デンマーク国王、クリスチャン三世がマーチン・ルターの話を聞き、彼の意見に賛同、デンマークにルーテル教会を採り入れた他、同じ時期ノールウェーの国王も兼任していたことからノールウエーにもルーテル教会を採り入れました。

 

デンマークの現憲法第4条「国教教会」で、福音ルーテル教会をもってデンマークの国教会とする。国家は国教教会としてそれを維持しなければならない」と規定しています。

 

今日においても、スカンジナビア5か国がルーテル教会を国教として維持しています。

 

1536年クリスチャン三世が、宗教改革を実施し、ロスキルドから監督教会区をコペンハーゲンに移転し、カトリック教会が所持していた2500以上の農場からの租税を徴収することになりました。

 

ロスキルドの疲弊はクリスチャン三世が宗教改革で終わることなく、1658年デンマークとスウエーデン戦争中、スウエーデンの軍隊がロスキルドに駐屯し残り少なくなっていたデンマーク財政の資金が浪費され、その後1711年ペストが発生、20年後の1731年には大火災が発生、その4年後の1735年再度の大火災で、住民は家や住宅から追い出されることになりました。それから100年が経ち、ロスキルドは灰から立ち上がり、過去の繁栄に少しは近かづいたと、ロスキルド史では語っています。その中の一つ1846726日、デンマーク初の鉄道路線がコペンハーゲンからロスキルドに敷設されクリスチャン八世(在位1839-1848)が開通式を当たりました。この鉄道の敷設によってロスキルドのフイヨルドや大聖堂への観光客が多く訪れことになった、その影響もあり、ロスキルドの人口は1850年の3805人から1910年の間に9696人まで増えたと語られています。因みに201611日付けロスキルドの人口は約5万人です。(了)