すべての人が愛をもって生きる社会

メールに答えて

 

2017年12月9日、丹省一さんからのメール

 

風のがっこう便り、ありがとうございす。

さて、内村鑑三著「デンマルク国の話」、諸資料等でその内容は部分的には知っていましたが、本日、取り寄せて読みました。デンマークとデンマーク人の素晴らしさを見直しました。

 

「デンマルク国の話」(副題に、信仰と樹木…)は、1911(明治44年)とあります。

(1)1911年に「たぶん世界の中でもっとも富んだる民であるだろう」と記していますが、今日も「世界で最も豊かで幸せな国」と言われますが、長期にわたり世界一と言われる持続性はどこからくるのでしょう。

生活環境など、デンマークよりも恵まれた国は沢山ありますし、真似すればできる筈。日本も。

(2)数年前に「ヒースの丘」で、荒れ果てた地を這う雑木の平野を見ましたが、日本も北海道や東北など開拓は同じと思います。日本の場合は林野を開墾して農地にしましたが、開墾さえすれば豊かな農地になる土壌だった思います。つまり、確実な目標が目の前にあったと思います。

ヒースの平野は、開墾・灌漑、最大の課題である気候を克服するための植林から試行錯誤が見られます。このダルガスの提唱が、民衆の心をつかまえて半世紀もかからずに豊かな農地に変えたことは奇跡のようです。さて、一人の人間が国民を動かせたのは、何でしょう。宗教でしょうか。

 

(1)(2)共に、宗教だったとすれば日本は難しい。(エルサレム問題も、日本人は理解できないのでは)

 

日本では、ダルガスの「外(対都会)で失いしところのものを、内(地域)に於いて取り返せ」

(カッコ内は、私の口癖“技術と生産の地産地消による地域活性化”)

は、なかなか通らないように思います。

Stefanさん、時間がありましたら、(1)(2)への感想・意見をお願いします。

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丹 省一さま

 

上記メールありがとうございました。

丹さんの問合せへの答えになるかどうか解りませんが、何等かの参考にしていただければ幸いです。

私がデンマークに50年住んで感じていることは、デンマークの多くの人たちは、国や社会に対し、何かしなければならないという義務感をもっているようです。私の知っている年金者の多くは、恵まれない人たちの生活費を稼ぎだすために、リサイクルショップに出かけ、報酬無しで働いています。国外で困っている人たちを支援するために全国で何万人の人たちが募金運動に出ます。お金を稼いだ企業は国の施設や学校などにたくさんのお金を寄付しています。つまり自分や会社が動き、お金を出すことで、世の中で困っている人たちが助り、社会が良くなるのではないか、という気持ちがあるためだと思います。つまり、デンマーク人の多くは、皆で今日よりも明日良い生活をしようという気持ちをもって生き暮らしていると思っています。

 

デンマーク人が持つ気持ちの根底に「愛=おもいやり」があるためだと思います。日本でも「おもいやり」という言葉が使われていると思いますが、日常生活に活かされていないのでないか、と思っています。

 

夫婦間において、子供の教育において、職場において「おもいやり」が大事ですが、それが失われいるのではないかと推察しています。日本では「家庭内離婚」離婚状態で住んでいる人たちがいると聞いています。学校教育の中でいじめが原因で自殺する生徒が居ると聞こえてきます。職場では「過労死」するほど、過酷な勤務に追い込まれている人たちがいると聞いています。なぜこのようなことが日本で起きているか、理由は日本人の多くは「利己主義*」で生き、くらしているためだと思います。 

 

*利己主義=自己の利害だけ行為の規準とし、社会一般の利害を念頭に置かない考え方、(広辞苑からの引用)」

 

利己主義で生きている人達が「個人主義*」に生き、暮らすような社会を創るためには、どうしたらよいのか。

 

*個人主義=個人を立脚点とし、社会や集団も個人の集合と考え、それらの利益を優先させて個人の意義を認める態度(広辞苑からの引用)」

 

大変、難しい課題ですが、人それぞれ、「人として、世の中に生きるためについて」考える時間を持つことだと思います。

家庭内離婚をしている夫婦の人たちは、離婚するか、何等かの理由で離婚できなければ、お互い愛をもってやり直す努力があって良いと思うし、虐めを無くす方法の一つは子供たちを進学の勉強で追い込まれせないことだと思えるし、また、職場で「過労死」させない方法は、無理のない仕事量を配ることだと思うのです。

 

私は、私の家族を含めデンマークの社会で守られて暮らしている分だけ、この国のために何かしなければならない、という気持ちが失なわれないでいます。

 

デンマークの最大の息子と呼ばれた「ダルガス」は1864年デンマークがドイツとの戦争で破れ南ユトランド半島の肥沃地帯を失い、国家を救う手段としてヒースの丘を農地に替える国土開発に入った。ダルガス以外にもデンマークの国を創るために貢献した人たちはたくさんいます(私の著書、デンマークという国を創った人びと、合同出版、参照)。

 

結論は人としてすべて「愛」をもって生きるか、否か、だと思います。

 

以上、少し哲学的になりました。参考になればうれしいです。

 

スズキ