デンマークのノーベル賞受賞者について(20221015)

2022年10月5日、デンマーク人モーテン・メルダール氏 (Morten Meldal、1954年生まれ) はアメリカ人Barry Sharplessと Corolyn Bertozziの2名と共に、”udviklingen af klikkemi og bioortogonal kemi”「クリック・ケミストリーと生体直交化学の開発」で、ノーベル化学賞を取得しました。クリック・ケミストリーとは、化学分子を組み合わせて利用するという理論で2001年からこの研究に取り組んできたと語られています。メルダール氏は1980年デンマーク工科大学に学び、ケミカル・エンジニアとして卒業、卒業後3年間研究員として母校に勤務、その後イギリスのケンブリッジ大学医学部研修室に勤務し帰国、短期間コペンハーゲン大学に勤務した後、1988年カールスビール会社の研究所に就職し20年間務めました。そして今はコペンハーゲン大学化学部の教授として勤務しています。メルダール氏の職歴で見る通り、デンマークの高学歴の人(人達)は大学を卒業した後、国内外の研究所や職場を渡り歩きます。

デンマークのノーベル賞受賞者は1997年化学賞受賞以来25年ぶりで、ノーベル賞受賞者数はメルダール氏を含め14名となりました(注1)。

(注1)       デンマーク人でノーベル賞を取得した人達は生理学・医学賞5名、物理学3名、文学賞3名、化学賞2名、平和賞1名の計14名 で内訳は表1の通りです。

 

表1.デンマークの年代・部門別に見たノーベル賞受賞者

 

年代

氏名

部門

単独&分ける

1903

Niels Finsen

生理学・医学賞

単独

1908

Fredrik Bajer

平和賞

スウエーデン人と分けた

1917

Henrik Pontoppidan

文学賞

Karl Gjellerup と分けた

1917

Karl Gjellerup

文学賞

Henrik Pontoppidanと分けた

1920

August Krogh

生理学・医学賞

単独

1922

Niels Bohr

物理学賞

単独

1926

Johannes Fibiger

生理学・医学賞

単独

1943

Henrik Dam

生理学・医学賞

アメリカの研究員と分けた

1944

Johannes V. Jensen

文学賞

単独

1975

Aage Bohr (Niels Bohr 4男)

物理学賞

3人で分けた(2名はアメリカ人)

1975

Ben R. Mottelson

物理学賞

3人で分けた(Aage Bohrともう1人はアメリカ人) 

1984

N.K. Jerne

生理学・医学賞

3人で分けた(ドイツ人とアルゼンチン人)

1997

Jens Christian Skou

化学賞

3人で分けた(イギリス人と

アメリカ人)

2022

Morten Meldal

化学賞

3人で分けた(内2名はアメリカ人)

         (Kilde: Danske Nobel prismodtagere)

ノーベル賞は、スウエーデン人のアルフレド・ノーベル ( Alfred B. Nobel 1833-1896年) がダイナマイト等の発明で得た巨大な資産の運用に関して、1895年ノーベル賞を設けることを遺言として残したものです。ノーベル賞は毎年、生理学・医学、化学、物理学、文学、平和の5つの部門において貢献した人に贈られる賞です。最初にノーベル賞を受賞した人は2名のドイツ人で1901年に生理学・医学賞を受賞しました。

デンマーク人で最初にノーベル賞を取得した人はニルス・R・フィンセン(Niels Ryberg Finsen 1860 -1904)という人で「皮膚病の光治療」の研究で1903年ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。彼はコペンハーゲン大学医学部を卒業していますが、健康を害していたこともあり、医者になること諦め、解剖学を教える教授の助手になり、その過程で1893年” Om lysets indvirkning på Huden”「皮膚に与える光の効果について」を発表、そして ”Om behandlingen af Kopper”「天然痘の治療について」を発表しました。そして1986年臨床実験をまとめた論文 ”Om anvendelse i medicinen af koncentrerede kemiske lysstråler”「化学的光線の集中治療について」を発表、また、同年フィンセン医学光線研究所開設しました。同研究所は1901年フィンセン研究所に改名し、ガン予防団体と共にガン治療専門病院を増設しました。彼は1903年ノーベル賞で得た賞金14万1千クローネの中から5万クローネをフィンセン研究所の借金返済として寄付したと語られています。なお、フィンセン研究所は1981年国立病院に編入されたため、フィンセン研究所という名称はなくなりました。

他にデンマークでノーベル賞を受賞した人で事業を起こした人は1920年ノーベル生理学・医学賞を受賞したシャック・オーガスト・ステンベアー・コロー(Schack August Steenberg krogh 1874-1949年)という人です。ノーベル賞受賞につながった研究論文は「生物組織の中での酸素拡散定数と毛細血管の生理と解剖に関して」です。彼は1922年牛の膵臓からインシュリンを採り出すことに成功し、それを基盤に1923年3月インシュリン製造を目的とした企業ノボ・ノーデスク(Novo Nordisk)創業しました。今日、ノボ・ノーデスク社はデンマーク企業の中でも優良会社に位置づけられ、事業利益の一部を社会に還元するため、ノボ・ノーデスク基金を設立し各種プロジェクト等に支援しています。

デンマークのノーベル賞受賞者の中で国内外で大きな貢献をした人は、1922年ノーベル物理学賞を受賞した物理学者ニルス・ヘンリック・デービ・ボーア(Niels Henrik David Bohr 1885-1962年)という人で量子論の育ての親とも語られています。彼はコペンハーゲン大学に物理学の研究所が無かったことから、1916年政府に物理学研究所の設立を提案し、1918年国からの建設資金と友人からの資金支援を受け1921年3月「理論物理学研究所」を開設しました。この研究所には国外からも数多くの研修者が訪れ、その中には後にノーベル賞を受賞したイギリス人の物理・数学学者、オーストリア人の物理学者、ドイツ人の物理学者が居ます。日本人の研修者の一人として仁科芳雄博士(1890‐1951年)が居ます。彼は1923年から1928年までの約5年半研修員として滞在したと言われています。

この研修所は1965年「ニルス・ボアー研究所」と改名され、今日ではコペンハーゲン大学の中に統合されています。 

図:ニルス・ボアー研究所

(出典:インターネット)

2022年10月15日

デンマーク・ウアンホイにて

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